愛と誇りの間で

 

 

 コーカサス(カフカス)山脈やカスピ海を望む土地には小さな地方があります
 その地方は本当に小さなところなのですが、オリエント地方、アジア、アナトリアなどにほど近いところにあるため、古代からいろいろな民族が通り、またいろいろな国が栄えてきました。
 現在もこの地方にはたくさんの民族が暮らしていて、国の数も10以上あるのです。
 報道などを通じてグルジアやチェチェン、オセチアという国の名を知っている人も多いと思います。
 アルメニアはそうした国々のなかのひとつで、この国のエレバンという街の近くにある山には古代王国の美貌の王の伝説が伝えられています。

 紀元前の昔―
 栄華を誇るアッシリア王国はセミラミドという女王によって統治されていました。
 誇り高き女王は女性としての教養だけでなく、兵法や武器の扱いもたしなんでいたので、国政や外交だけでなく、男性の王同様に自ら軍を指揮することもあったといわれています。

 あるときのこと、女王はわけあってアルメニアの宮廷を訪れました。
 アルメニアの宮廷で女王とその一行を迎えたのは当時のアルメニア王アラです。
 王の名「アラ」は当時の現地の言葉で「美貌」を意味していたといわれています。そして、この名を持つアラ王は名を体現したような美貌の王であったといわれています。
 ともすれば、セミラミドがアルメニアを訪れた理由のひとつには美貌の王への興味もあったのかもしれません。
 アルメニアを訪れた女王はアラ王の盛大なもてなしを受けました。女王の滞在中、アラ王は政務の合間に時間ができると彼自らが女王を連れて自国の美しい場所を案内することもあったのです。
 大国の女王であり、軍事や外交などもこなしていたセミラミド女王はアラ王と出会う前にも公私ともにいろいろな人と会っており、当然、女王がそれまでに接してきた人々の中には彼女の心に残るような魅力的な人物も存在していました。
 しかし、アルメニアの美貌の王の美貌と紳士的な歓待はそんなセミラミドの心にさえ強い印象を残すこととなったのです。
 おそらくそれは誇り高きアッシリア女王にとっては初めての恋だったのかもしれません…

 セミラミドはアルメニアに滞在する間、アラ王とともに楽しい時間を過ごしましたが、やがて女王は後ろ髪を引かれる思いを残しながらも帰国の途につくことになります。
 セミラミドがアラ王との見合いを目的としてアルメニアに赴いた姫君であったのならば、いつまでも美貌の恋人とともにアルメニアの宮廷で楽しい日々を過ごすことも叶ったのでしょう。しかし、彼女は大国の女王です。
 しかもセミラミは基本的に男性が王位を継ぐことになっている国に見られるようなお飾りの女王ではなく、政務も軍事も一手に担う女為政者です。そのような彼女がいつまでも自国を空けていては、たとえ大臣たちが有能であってもいつかは国政が滞ってしまうことでしょう。
 セミラミドは初めてのときめきのなかにあっても、自国のことを決して忘れてはいなかったのです。
 忙しい政務の合間をぬって女王の歓待や案内などを自ら行うほどにセミラミドとの時間を大切にしていたアラ王も、彼女が帰国の途につく女王を見送るときには名残惜しい思いを抱ていたに違いありません。

 最終的にセミラミドは初めての恋よりも女王としての責務を選んでアッシリアに帰国したのですが、帰国してからもアルメニアの美貌の王への思いが薄れるとはありませんでした。
 それどころか、日毎に彼にもう一度会いたいと思う気持ちがつのる一方でした。
 これは今までに言い寄る男性を却けたことはあっても、自分からそうした想いを持ったことがなかった女王にとっては今までに体験したことのない感情だったに違いありません。
 セミラミドは自分でもコントロールできない気持ちに思い悩みましたが、ある日とうとう思い切ってアラ王に書状を送ることにしました。
 書状の内容はアラ王への求婚です。
 誇り高いセミラミドからすれば、求婚や恋の告白を受けることはあっても、自分から求婚するなどということは本当は気乗りがしなかったのかもしれません。しかし、制治や軍事では男性も顔負けの策を打ち出し、どんなときににも堂々たる女王としての風格と気品を忘れることのなかったセミラミドであっても、初めての恋とあっては書状をしたためたときにはそれより他にもう一度アラ王との時間を得る方法が思いつかなかったのかもしれません。

 やがて、セミラミドの書状は無事にアルメニアの宮廷に着くことになります。
 素直な想いをしたためたセミラミドの書状はいろいろな意味でアラ王を驚かせたことでしょう。
 大国の誇り高き女王として名高いセミラミドにも純粋な少女そのままのような恋する心があったということ、大国の女王からの求婚の申し出であること、それほどまでに熱く純粋な気持ちがアラ王に向けられているということ…
 アラ王もこの書状を見て、いつかセムラミドとともに過ごした日々をもう一度思い出していたのかもしれません。
 もしも彼が一国の王でなければ、セミラミドの必死の想いに応えていたことでしょう。

 しかし、アラ王の出した答えは恋する乙女に応えようとするひとりの男性のものではなく、アルメニアという国を統治する国王としてのものでした。
 王は悩んだ末に女王の申し出を断ることにしたのです。
 アラ王の臣下たちは、口には出さないながらも主君の下した決断にほっとしていました。
 アルメニアの廷臣たちはみな、民族の異なる女性を自国の王族として迎えることを善しとはしていなかったのです。
 そのような問題がなくても、相手は自由に自国を出て他国に嫁ぐことのできる王女や姫ではなく、一国を統べる女為政者です。それだけでなく、セミラミドはアルメニアよりもはるかに国力のある国の女王です。アラ王がそのような女性との結婚を承諾することになれば、セミラミドがアルメニアの宮廷に入るのではなく、アラ王がセミラミドの婿としてアッシリアに赴く公算が大きくなってしいます。そうなればアルメニアは自国の王を失ってしまうことになるのですから。
 それとも、アラ王が最終的にセミラミドへの想いを泣く泣く断ち切った本当の理由は、女王としての彼女を理解していたがゆえなのかもしれません。彼女は本当の女王であるからこそ、アルメニアの国や民を捨てることのできない自分同様に、何があっても自分の国を捨てることがないのですから。
 もしもセミラミドがどこにでもいる女性であるのならば、国を治めるという責務よりも自分の正直な心に従うことを選んで、いまもアラ王とともにアルメニアの宮廷での日々を送り続けていたことでしょうから。

 やがて、アラ王の返事はセミラミドのもとに届くことになります。
 アルメニア王の返事を見た女王が感じたのは落胆ではなく強い憤怒でした。
 必死の懇願を却けられたことも勿論ですが、それまでに求婚を却けたことはあっても却けられたことのないセミラミドにとって、アラ王の返事は許し難いものでしかなかったのです。

 怒りに炎える女王はアルメニア王の返事を受け取って間もなく軍を召集しました。
 アッシリア軍が向かったのはアルメニアです。
 アルメニア側はセミラミド率いるアッシリア軍を見てさぞかし驚いたことでしょう。
 殊に、アラ王とセミラミドの結婚を反対していた廷臣たちなどは、まさか少し前まではアラ王と親しげにしていた女性が自ら軍を率いて現れるとは予想もしていなかったことでしょうから。
 最初はアッシリア軍の出現に驚いたアルメニア側も、敵がアルメニアを本格的に攻略し始める頃にはなんとか軍を整えて応戦に入りました。
 このときのアルメニア軍を率いていたのは、セミラミドとの結婚を泣く泣く諦めたアラ王です。

 ふたりは戦いのさなか、互いの軍の総将同士として顔を合わせることになります。
 このとき、ふたりが互いに問いかけていたのは「なぜ戦いの采配ではなく愛の花束を選ぶことができなかったのか?」という気持ちだったのかもしれませんね。
 ともすればセミラミド女王は戦いの陣頭に立ちながらも、アラ王の出方次第でいつでも軍を引くことを考え、そうなること願い続けていたのかもしれません。

 しかし非情にも戦いは進み、アラ王が斃れたことによって幕が下ろされることになりました。
 当然、アラ王の戦死の知らせはセミラミドの陣営にも届きました。
 王の死を知ったセミラミドは自分の感情が生みだした結果にひどく後悔し、アルメニア側から避難を受けることを覚悟したうえでアルメニアの陣営を訪れることを希望するのでした。

 女王の願いは叶えられ、彼女は恋した美貌の王の遺体と対面します。
 初恋の相手の変わり果てた姿を改めて目にした彼女は、自分が起こしたことが招いた事態を改めて思い知らされることになったことでしょう。
 このときにセミラミドは後悔の念とともに、以前にアルメニアを訪問した折の出来事も思い出していたに違いありません。
 アッシリアの女王は、いつかの滞在の折にアラ王が案内してくれた場所のひとつに「アルメニアでは天国に一番近い山」といわれている山があったことを思い出し、そこにアラ王の遺体を安置することを思いついたのです。

 失われたアラ王の生命が戻らないのならば、これほどまでに自分の心に深い印象を与えた美貌の王の永遠の眠りの場を楽園に近いといわれている美しい場所に用意することでせめてもの罪滅ぼしとしたかったのです…

 そしてアラ王が安置されたのが、エレバン近くにあるひとつの山です。
 その山は、現在も美貌の王の墓所に相応しい独得の形で聳えているそうです。

 この伝説に語られているアルメニアのアラ王とアッシリアのセミラミド女王については実在の人物ではないという見方が濃厚なので、この物語はエレバン近くにあるという山の独得な形から編み出された、所謂昔話のような形として考えておくといいかもしれません。

 この物語はアルメニアでは人気のあるものらしく、19世紀に生きたアルメニアのある画家は、この物語を題材にした作品を残しているともいわれています。